TAKESHI OYAMA
PHOTOGRAPHY
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坂東
埼玉・茨城・千葉・神奈川といった東京近隣の、東京の中心から直線距離にしておおむね40~50Kmほどの距離にあり、鉄道の便が良くないという条件の場所には、産業廃棄物処理施設や自動車解体業者、砂利などの土木建築資材、リサイクル施設などが分布している。
それらは都心部の建設で必要とされる資材の供給元であり、都市生活で使用された耐久消費財の最終工程の場としてある。
建築資材や産業廃棄物は市場で取引される商品という立場から、鉱物の手前にまで降りてきたもの、あるいはそこから上昇していくものであり、再利用のサイクルに回収されるものもあれば、手付かずのまま放置されているものもある。
消費者がほぼ存在せずソフィティスケートによる秘匿の必要を求められないそれらの土地では、再利用されるものも、放置されているものも、それらの生産設備をも含めて、物質をめぐる資本の代謝が隠されることなく、剥き出しままその姿を晒している。
土地利用の新陳代謝が緩慢な地域であり、使われなくなった施設はスクラップ&ビルドの機能が働かないまま自然の風化に委ねられ、植物の繁茂は阻害されることなく人工物を覆い尽くそうとする。
またそこでは外国人労働者も多く存在し、市場の一線から退いた商品の解体や販売は彼らの雇用を支え、彼らによって生産は維持されている。
自然と資本と、そしてインフラやエスニシティの発露としての国家といった、それぞれ別の原理を持つものが、仮初めの融合を擬態することなく存在しており、これらの地域は、われわれがどういった地点を基盤として立っているのか、そのベーシックなありようを見せているように思える。
開発が進み変化する土地の有りようを捉えたもの、廃棄物を通じて近代社会の負の側面を告発するもの、廃墟に消費社会の空虚を見出すもの、そういった試みが捉えようとする現象の終点であり始点であるこのターニングポイントで駆動する力は、軋みを立てながら糊塗されることなく差し当たりの並置という状態に置かれている。
ここで捉えた建築物や景観は実在するもののルポルタージュであり記録であるが、異なる原理が剥き出しのまま放り出されている場は、産業社会の姿の象徴という様相を見せながらも、そのとりとめのなさは象徴に回収しきれない残余を生み、それはある種の寓意を召喚する。そして物語は、残余を埋めようと自然と資本と国家の三位一体を見出そうとするだろう。
かつて坂東と呼ばれた関東地方において、都から派遣された国司の収奪からの自立を目論み、自らを新皇と称したことで朝敵として討ち取られた平将門は、中央から忌避される怨霊譚や、武士の始祖としての英雄譚を産み、飢饉における統治の手法としての御霊信仰を経て、民衆自らの拠り所として伝説化して定着していった。現代では市政統合の象徴でもある。
産業廃棄物施設やリサイクル施設の多くが集積する坂東市の神田山如意輪寺延命院にある今も多くののぼり旗が立つ首なき将門を祀った胴塚は、大手町の首塚から40kmに位置している。





































































































